旧警戒区域 2011年6月25~26日:福島第一原発事故後、 *福島第一原発から半径20kmが警戒区域に設定されました。2011年4月22日からは、検問ができました。 ①住民はじめ、ほとんどの人が、このエリアに出入りができませんでした。 生き物の世話に立ち入るということは、行政により、まったく許されませんでした。 心配した飼い主やボランティアが歩いてでもバリケードを越えて立ち入ると、多くいた警察官に連れ出されるか、場合によっては、拘留されました。 それで、残された動物達は飢えや渇きに苦しみながら、多くが死んでいきました。 ここで展開された事は理不尽でした。私たちは、たまたま、公衆衛生の調査などで、ここに行き、その光景を目の当たりにしました。 そこでの出来事、事実をを、皆様にお伝えできたらと思います。 あくまで一部の写真です。しかし、皆様の想像力のお役に立てるのではと考えています。 辛いかもしれませんが、こで死んでいった動物達の苦痛を、「自分だったら」と、、想像していただければと願っております。 ② エリア内では、津波や地震で壊れた町が、2013年ごろまでは、ほとんどそのまま放置されていました。 2014年になり、一部の場所では復旧が始まっています。 市町村により、復旧のしかたもまちまちで、最近では町村ごとに、受ける印象が変わってきました。 この辺りは福島県内でも、”浜通り”といわれ、もともと自然災害が少ない温暖な、自然豊かな場所です。 そこが受けた惨状と、その変化も、見ていただければと思います。 2011年6月、原発事故から3か月後。 人のいない町は異様でした。 学校の飼育動物やペットはあちこちで餓死。家畜は経済価値がないから物として扱われて悲惨。 病院の玄関先に患者さんのベッドが散乱。避難の移動中に亡くなった方もいました。