##① 2011.4~5月:南相馬市(津波の痕、市役所、居住制限)

2011年3月11日東北大震災・福島第一原発事故から1か月の4月22日~5月。南相馬市
<南相馬市:福島第一原発から、北ヘ20~25km地点での撮影>
*国道6号線から海側は津波の傷跡が残り、自衛隊員が胸まで水に浸かりながら、棒でご遺体を捜索(申し訳なくて写真はとれませんでした)。
*海岸近くで残った建物は、写真のとおりに水でえぐられています。
*市役所は、津波地区の家族の捜索のポスターが痛々しく。
  自衛隊の救援活動、市役所からの広報、復旧ポスターが混在して掲示されて混乱が窺えます。
*南相馬市は原発から20km地点までの警戒区域が設置されて、ペットは置いてくるよう強制されていました(理由は放射能の影響ですが詳細不明)。家族やボランティアが行政にペット救済の対応を求めた活動も盛んでした。
*youtubeやTVで紹介された猫を心配する住民女性の支援に、東京からきたボランティアが、市役所の前で掲示板をかかげて訴えていました。
*自衛隊と警察の車両、タイベックスーツとマスクの人たちが乗った車両があちこちでみかけられました。
*南相馬市の道の駅には若い人が集まり話あっていたり、ラーメン屋さんも開店していました(写真はありません)。

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2014年4月22日 南相馬市の海岸 津波の痕 遠くの塔は発電所 海岸から国道6号線までが津波がきました

南相馬市役所

どうぞご無事でいらしてください

南相馬市・津波の痕での 自衛隊の活動の写真

混乱が窺えます

赤い線は津波が着た場所を示しています

津波の痕で、自衛隊が救出と捜索をした様子 市役所に貼られていました 下段左側は、ご遺体を棒で探している様子です

(津波直後に宮城県女川町に行ったときは、 沢山の遺体安置所がありました)

離れた家族知人への安否の伝言版

東京電力の窓口は何のためのものだったのか

東京から朝ついたという若者は、動物を助けてと、市役所の前に 1日間立つといっていました

〇〇の猫おばさん というネットやTVで紹介された飼い猫の救済を訴える住民の呼びかけに、多くの支援者が集まりました

20km圏内という警戒区域でのペットの様子

原町 火力発電所 事故は起こしていない様子です 周囲は地盤沈下してましたが、 整地されて道路の通れました

地盤が沈下して海水がたまっています

見ずらいですが、、 南相馬市原町 海岸付近は津波で

津波の痕、、小さいがれきはかたずけられていました

見ずらいですが、、、 津波で、建物はなくなっています

津波で、1階部分は中がありません

津波で崖がえぐられていました

同じ地区でも、国道6号線を境に津波は来ませんでした 写真の家は国道6号線脇 道路の反対側まで津波が来ました

自衛隊の車両 市役所の前

警戒区域の検問 ここからは、許可のある警察・自衛隊・原発関係車両のみ 一般人は車両・人ともに許可がないと立ち入れません

再び南相馬市から飯館村に向かいましたが 行けども行けども人画済めない地区がつずきました 胸が締め付けられるような光景でした

野原ではありません。耕作されていたはずです

南相馬市へは国道12号線だけが物流の頼りでした この国道が通る南相馬市・飯館村は居住不可でした 海側は津波と原子力発電所事故のため 他の地域からの通行ができませんでした