いのち・福島第一原発の事故で(No1)

2011年からの、原発事故避難地区での様子です。
2011年3月11日、東北大震災、原発事故。
原発事故の避難地域では、津波で生き残っても、助けも来ないし、水も食べ物もなくて、、人間も津波のがれきに挟まって動けないまま、、。
山も、海も、町も、人も動物も、放射線に汚染されているからと、嫌われました。

・・避難地域への出入りは厳しく制限されましたが、理由があり立ち入ったメンバーが、犬猫の救助をしているときに見た光景です。今でも、家や道路が、壊れたままです。
・・ダチョウ、豚、畑の牛、、家畜は、2年後までに、ほとんどが囲いの罠にとらえられて、その中で死にました。薬殺や、餓死や、病気や、、。
人間の決めた理由はあるのですが、またの機会に紹介しますね。

・・事故原発から離れた浪江町の山里や飯館村でも、ペットや鶏は残されました。鶏80羽が、久しぶりに水をもらったときの声は忘れられません。

ここは、2013年3月まで、住人は出入り可能でしたが、30年以上は人が住めないという、帰還困難区域に指定されてからは、月に1度しか家に行けなくなりました。そしてまた、沢山のペットが残されたり、里子に出されたりしました。人がいない里では、なぜかわかりませんが、病気の猫が多いし、子猫は生まれても1匹しか育たない様子です。

・・ピンクの花木の写真から後は、2014年ごろからです。
生き残った命達です。私たちも、赤外線監視カメラで犬猫や野生動物を観察しながら、給餌、保護、などを続けています。
里親の見つけにくい、高齢、病気の犬猫は、私たちのシャルターにもいますが、命として大切にしています。他の個人や団体も、助けようとする人達は、結構いますよ!
福島第1原発近くでは、事故後の工事、汚染土の袋が沢山あったり、鉄道の橋が落ちたり、、、混乱しています。
でも、出来るだけ、命を助けに行きますね。

・・大熊町の、ふるさとと心を守る友の会で、仔牛が2頭生まれました。殺処分されずに助けられた牛からです。
いつか、人も動物も、命や心が大切にされる世の中になってほしいと思います。

スライドショーで見る

猫は生きていました・2011年4月

どんなに辛いか・2011年4月

40~50mSv・空間線量

津波地区・2011年4月

富岡駅・2011年4月

大規模養豚場・生き残りはいました・2011年6月

生きてくれと、、多くの牛が放されました・2011年春

ダチョウ園から逃げて、お腹すいたね、2011年

原子力正しい理解で豊かな暮らし??双葉町、2011年6月

原子力明るい未来のエネルギー ? 2011年 原発のある街

大熊町双葉病院まえで 患者さんだけ残された病院です

飢えと渇きに耐えた鶏 水!!

飯館村長泥高線量被ばく地区 2011年夏 この子たちは2~3年後に亡くなりました

高線量被ばく地区で シロもママも、1年たたずに亡くなりました 飯館村長泥部落

浪江町津島 5頭は親子です 時々の給食で生きています

ファミリーはバラバラになりました 子猫は保護されましたが病弱です

この子は3年護には亡くなりました 浪江町で 高線量被ばく地区

浪江町津島 2013年まで出入りができて急に閉鎖に 高線量被ばく地区

このあとの写真は2014年~

赤外線カメラが残った猫をとらえています

無人の町で生き抜いて 住民はたまに帰宅して、必死に餌を置きました

無人の街で・双葉町

保護猫さんのお風呂タイム

保護猫のシェルターで 奉仕活動があちこちで行われています

保護されても早くなくなった猫さん 飯館村長泥の子

福島第一原発 建屋の工事中

除染後の土が入ってます

JR常磐線(鉄道)

双葉町・2012年9月は通れましたが、、

猫のキキちゃんを探してるんです ずっと、、

4年後まで生き抜いた猫 大熊町で

住民は給食・保護に行きます

生き残った牛を生かしたい、、 ふるさとと心を守る友の会

生き残りの牛から生まれた赤ちゃん 2015年

保護猫さん

良い子!大切な子! ミツオは飯館村比曽から