##③ 2011.5~7月:生かされた80羽の鶏・犬猫:浪江町津島

2011年4~7月、浪江町の津島赤宇木:この辺りは福島第一原発から30kmほど離れていましたが、風向きで放射線量が高くなった北西方向に位置する山間部です。

屋内退避という避難指示があり、外出を最低限にして自宅に住むことはできましたが、、、ほとんどの人は避難先で生活をしていました。自宅は広く、複数の犬や猫を飼っている家が多いうえ、避難先の仮設住宅・アパートなどは狭くて、そこにペットたちを連れていくことはできませんでした。
このあたりの家畜は、豚や牛は、国からこの地域から出すようにと移動指示が出て、売却などされ、他府県に移動されていましたが、鶏などは、世話もされずに放置されていました。大型の養鶏場では、卵をとる採卵鶏という鶏が、餌を運ぶ業者も来なかったために、何万羽も死にました。
写真の地鶏はある老夫婦が飼っていた80羽の採卵鶏です。
水も餌もなくなり、鳴くこともせずにうずくまっていたところを、動物を心配して来ていた複数のボランティアの目に留まりました。当会のメンバーもいましたが、皆、自然と連携をとりあい、1週間に1~2回、誰かが世話をしに通いました。

2011年8月からは、立ち入りが厳しく制限され、検問ができ、ボランティアは立ち入りができず、鶏たちの世話ができなくなりました。
そこで、助けるため、飼い主と、米国の動物愛護のボランティアが協力して、ペットとして検問の外に連れ出し、この鶏たちを岡山県まで運びました。行先は内緒です(検問ができてからは、ペット以外の動物の、検問の外への持ち出しは制限されていました)。

また、ここに写っている犬猫は、大半が飼い主やボランティアの奉仕で、安全な場所に移動して、里子に行きましたが、残された犬猫もいて、多くは、虫、カエル、ネズミを食べながら、死んでいきました。

何組かのボランティアが高い放射線量に関わらず200~300kmの離れた地域から、動物の世話に通いました。
隣の飯館村の人と私たちもこの動物の世話をしました。
沢山の方たちの善意で、生かされた命たちです。普段なら食べてしまう鶏達を助けるために、沢山の人が必至に努力した事実がありました。