いのち・福島第一原発の事故で(No5)

無人の町に牛。2013年春までは牛も犬猫もよく見ました。 2014年、部屋で餓死したシーズー犬はそのまま。毛だけ残って。 池の魚は水が減ると他の動物の餌になりました。人は避難先で暮らしていましたが、自ら命を絶った人もいました。お腹を切って亡くなった方もいました。家はお花畑でした。

・2013年から2016年4月、事故原発から20~35KMの地域です。家の様子です。猫も犬もサバイバル。善意で生かされた牛もいます。

・放射能で汚れた土をはがして巻いて黒い袋に入れて、積んでいました。カエルもモグラもミミズも虫も植物もいれたまま。何百年も守った農地も。 校庭や山の中の袋は大きな貯蔵所に移ります。 津波のきた場所は広大な袋の置き場所になりました。大きな機械も車も沢山。森からまた放射能が移ってきます。国道の向かい側は人が住む町です。

・花見も無人。帰らない人が多いのです。ソーラー発電が増えてきました。猫の餌場、放射線測定器は前にはなかった光景ですね。住みの残った人は少しだけ。

(2012年~2016年4月・写真は住民からも提供されています)(2011~2012年はいのち・福島第一原発事故で(No1~4)で紹介しています)